馬頭観音とは

馬頭観音の写真

馬頭観音とは観音菩薩の変化身の一つで、忿怒の形相で頭に馬頭を乗せて胸元で馬口印を結びます。

馬の伝来

遣唐使のイラスト

我が国に馬が伝来したのは4世紀末頃で、モンゴル地方の野生馬が朝鮮経由でもたらされたそうです。

それ以前の時代には馬の骨などが遺跡から発掘されない事から、我が国に在来種としての馬は元々居なかったということになります。

権力者の古墳には副葬品として馬具や馬の形をした埴輪が発掘されることから、古墳時代には戦いの手段として権力者が所有する貴重な動物だったのです。

しかしながら馬は朝鮮経由で船に乗せて連れてくるしか方法がありませんので、相当に貴重な動物として扱われていたのです。

交通手段としての馬

群馬のイラスト

馬は今の時代では競馬場か乗馬クラブで見るような存在になりましたが、馬は人間よりも力が強くて速く走ることが出来るために、4世紀末頃に我が国に初めて伝来してからは我が国でも繁殖が繰り返され、時代の経過と共に軍事、労働、運搬、伝書などの目的で活躍するようになりました。

馬は広い草原で繁殖されるようになり、馬の名が付く群馬県でも馬の繁殖が行われていたために「馬が群れる」県とされたのです。

東海道や中山道などの主な街道では馬が現代の自動車のような使い方をされていて、物を運んだり、都の指令を伝達したりなどで大活躍していたのです。

やすらか庵の馬頭観音

僧侶のイラスト

やすらか庵のお焚き上げ供養場の周辺には石仏がお祀りされており、訳あってお祀りすることが出来なくなった石仏を供養して欲しいと頼まれたものです。

どの石仏も由緒ある石仏であり、歴史の中で地域の人々の生活と共に在った仏様なのです。