手作り寺院

毘沙門堂完成

やすらか庵は立派な寺院ではありませんが、手作りという奉仕を続けていくことによって皆様とのご縁が頂ければ幸いでございます。

祈願と供養

祈願と供養
やすらか庵は物ばかり豊かで心の貧しいこの世で噴出する様々な問題に対して、喉の渇きを潤し、一筋の光明を見出すべく祈願と供養の実践を続けています。
私達のこの乾ききった世の中で、全体を嘆いていても何も始まりません、まずは私達が真の幸せに近づくことから始まるのです。
たとえ悟りが遠く、修行が困難でも、最も身近な環境を無視しての悟りはあり得ないのです。
今の世の中に人として生まれて来たことに感謝し、家族がいることに感謝し、皆の幸せを願いましょう。

祈願のご案内

やすらか庵(安羅迦庵)では毎日祈願をしています、皆様の願いが叶うように祈るのが祈願です。自分勝手な願い事は叶う事がありませんが、人の幸せを願えば自分も幸せになるのです。

毘沙門天開運祈願

毘沙門天祈願
毘沙門天様は妃の吉祥天女と子の善膩師童子と共に夫婦、家族の神として外敵を防いで家族を守り、大きな福徳を授けることに於いては最強の神なのです。
また毘沙門天は勝負必勝の神でもあり、命と金と時間の神でもあります。
何をやってもうまくいかない、今まで順調だったのに急に不幸になった、病気が治らない、やる気が起こらない、人に裏切られた、などでお悩みの方には毘沙門天の力を頂けば必ず良き方向に動き出します。
幸せな人は大きな力がグルグルと良い方向に廻っていますが、逆方向に廻っている人は一旦その回転を止めてから動き出す必要がありますので、時間もかかりますし、大変なエネルギーが必要ですが、こういう時こそ毘沙門天の力が必要なのです。
やすらか庵(安羅迦庵)では毎日毘沙門天祈願をしていますので、毘沙門様の大いなるお力をお受け下さいませ。

御札、御守頒布

御札
毘沙門天の御札やお守りも全て手作りですので、大量生産品を買って箱から出して並べている御札とは違います。御本尊様のお力を受けて頂こうと思ったら手作りは大切なことなのです。
特にミシンで縫う交通安全の御守りはミシン掛けからして私の手作りですが、手間が掛かりすぎますので、大量生産は出来ませんことをご了承くださいませ。

供養のご案内

やすらか庵ではお焚き上げ、散骨、粉骨、水子供養、先祖供養などを行っています。

お焚き上げ


仏壇、神棚、神仏像、位牌などの物に魂が籠って私達の身近な所に神仏やご先祖様が居るのですが、私達の身近な生活用品にも様々な思いが籠ることがあり、気持ちや思いが込められた人形や置物などが溢れているのです。
そういった物に対して感謝の気持ちを手向けると共に天にお送りするのがお焚き上げとしての供養です。

散骨供養

散骨供養
私達は地球上の生命の一員として大地や海に還ることが自然の理であり、肉体にはこだわらないことが釈迦の悟った真理の法ならば、散骨供養は宗教的に正しい方法であり、亡き人を送るという葬送の儀を実践すれば生きている私達と亡き人の両方が納得出来る方法なのです。

粉骨供養

粉骨供養
散骨供養のためには遺骨を粉骨する必要があり、巷の業者では粉砕機に入れて高速回転であっという間に粉砕しますが、粉骨は形ある遺骨から形無き姿に変遷することであり、本来は長い時間をかけて自然の中で行われることを考えれば、亡き人の事を思い、儀式を行い、祈りながら手作業にて時間を掛けて粉砕する粉骨供養の意義は大きいのです。

水子供養

水子供養
水子はこの世に生まれてくることが出来なかった小さな命であり、何の罪も無いのですが、親の悲しみと喪失感は大きく、何かして差し上げたいという思いはいつまでも続くものです。
こういう時の供養は喉の渇きを潤す水のようなもので、目に見える世界から目に見えない世界への思いやりの気持ちを届けることなのです。
私達の世界は目に見える世界だけではありません、むしろ目に見えない世界の方が果てしなく広くて大きいのです。

先祖供養

先祖供養
私達の存在は先祖が居て成り立つという意味では先祖に感謝で、しかも親が子を思う気持ちは誰しも皆同じことで、最愛の子に対して幸せになって欲しいと願うものです。
先祖にしてみれば私達は子と同じで私達の幸せを願い続けており、私達はただひたすらに感謝の気持ちを手向ける事が先祖供養なのです。